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生前戒名を考えたい。【続き】(死後事務委任契約後のお客様フォローより)
以前から生前戒名を検討しておられ、私どもにお手伝いをお願いしてこられた方の続きです。
まず、その方の菩提寺に電話ご連絡し、私どもが死後事務委任を受けていることを説明しました。
相談者のことは、よく覚えておられ、現在は老人ホームに入所していることなど近況をお伝えしました。
相談者が、自分が生きているうちに戒名を自分で決めておきたいと願っていることをお伝えし、相談者の代わりに私どもが、一度、ご挨拶にお伺いしたいとお願いしました。
実際にお寺にご訪問し、住職にご挨拶を終えて、戒名には相談者の職業にちなんだ「ある漢字」を使用して頂けることを期待しておられることもお伝えしました。
この宗旨では「戒名」ではなく「法名」と呼ぶそうです。
事情を察したご住職は、快く理解して下さり、その場で法名(戒名)を付けて下さり、この法名(戒名)の意味を説明して頂きました。
個人的にとても良い法名(戒名)だと感じましたし、相談者も喜ぶと確信しお寺を後にしました。
翌日、相談者のいる老人ホームに訪問し、ご住職との面談の経緯、ご住職の直筆の法名(戒名)をお見せし、この法名(戒名)の意味するところをお伝えしたところ、「私には出来すぎた戒名やわ」「これで本当に安心した」
と大変、喜んで頂けました。
最近は、お寺も檀家さんの減少が加速しているとよく聞いています。
今回の相談活動を通じて感じたことは、お寺と檀家さんとの距離感が昔に比べると開いている様に感じます。
檀家の側は、お寺の檀家であり続ける意味が解らなくなっているのでしょう。
ただ、人が良く生きて、安心して死んで行ける為にお寺の存在が、もう少し見直されても良いように感じます。
「お寺にご縁があるってなんか安心だな」と檀家さんが感じれば、檀家離れは防げるのではないでしょうか。
お寺さんを通じて、「檀家さん向けに終活の勉強会」など、お寺と檀家さんとの交流の機会がもっとあった方が良いように思います。
「お寺って、何かいろいろ相談できるかも?」と言うイメージがあれば、お寺と繋がりを持ち続ける動機になるのではないでしょうか。
ご興味があるお寺の方がおられたら、私どもで良ければいつもお手伝いしますので、ご連絡ください。
医療意思決定の支援(身元保証、任意後見契約後のお客様フォローより)
「大正」生まれの方で、私どもにて、お探しした老人ホームに入所しておられる方です。
お子様がおられないことから、私どもが身元保証人と任意後見契約、をお引き受けしている方です。
また、この方は「尊厳死の宣言」を公証役場で行い、証書にしておられます。
尊厳死の宣言とは、「延命的治療を望まないこと」を公証役場で公証人の面前で宣言し、証書にしてもらった書面です。
病院に入院するとき、この書面の写しを提出しておけば、死期にさいしては、書面に記載された希望にそった、終末期医療を受けることが期待できるとされています。
特に、お子様がおられない方は、ご準備されておかれたら良いと思います。
施設より連絡があり、「骨折の可能性があるので病院を受診する。」とのことです。
幸いにも、私どもの事業所のすぐ近所の病院でしたので、病院にて合流することになりました。
医師の説明を聞くと、やはり骨折している様で、「入院して外科的治療(手術)」をするか。
あるいは、「安静にして保存的治療」に留めるか。
医師としては、痛みの緩和のためにも、入院して外科的治療(手術)を勧める様子です。
検査に来たこの病院は、急性期の病院ですので積極的な医療を勧めるのは、ある意味、当然だと思います。
ただし、ご本人は、かなりの高齢で仮に「手術自体は成功」しても、入院期間が長引くと身体機能が低下し、嚥下力も弱くなり食事も摂り難くなるかもしれません。
結果として、老人ホームにはに戻ることができず、療養病院へ転院する方も多く見てきました。
「それは、少し違うのでないか?」と私どもは、常々考えさせられてきました。
高齢になってからの「手術の成功」と「人間らしい生活の維持」とは、少し違う部分があるのかも知れません。
今回は、ご本人がはっきりと意思を表明できる方ですので、病床で「入院、手術をして痛みを無くすか?」あるいは、「多少痛みと闘いながら安静しているか?」
お気持ちを聞いてみました。
ご本人の考えは、「手術はしない。」「入院はせずに老人ホームへ戻りたい。」と、はっきり申されました。
私どもは、この意思を無視して手術や入院を勧めることは、自己決定権を侵害することになると思いましたので、
ご本人に手術を受ける意思がない旨を医師にお伝えしました。
医師としては、多少は説得したそうでしたが、最後は本人の意見を尊重して下さり、お薬だけを頂いて老人ホームへ帰還することになりました。
もし、私どもが同行していなければ、ご本人だけで自分の意見や希望を表明できたのだろうか?
そのように考えると、時間も取られますので大変ですが、病院への受診の同行、意思決定の支援には、結構大きな意義があるのではないかと感じます。
老人ホームの方には、介護の負担が増えてしまい少し申し訳ないのですが、ご本人が入所される老人ホームは、パーソナルに沿った介護をして下さる施設ですので、きっと、今回もご本人に添った介護を頑張って下さると思っています。
生活保護費の返還金と老人ホーム探し(生活保護に関する困難事例より)
生活保護を受けている方の老人ホーム探しのご相談です。
実は、今までに複数の老人ホーム紹介会社から紹介を受けられていますが、なかなか行き先が決まらない様です。
理由を確認してみると、以前に生活保護費を「不正受給」していたことがあり、生活保護費から毎月5,000円を役所へ返還しなければならない様です。
返還を優先すると、老人ホームで生活をするのに微妙ですが、費用が足りなくなる恐れがあり、入所検討先から良い返事がもらえない様です。
また、返還金は、生活保護費から天引きされていることが多く、このような場合は手取り額が、他の生活保護の受給者の方と比べて、現実的に少なくなります。
この様な相談者の方が、老人ホームに入所するには、「施設が毎月の費用を値引きしてくれるか」あるいは、「毎月の生活保護の返還金額を減額するか」が必要になります。
ただし、どちらも簡単ではなく、行き詰まっているのだと思います。
相談者の方が、老人ホームへ入所する必要は高く、自宅に戻ることは到底できない状況でした。
よく話を聞いてみると他にも借金がありそうです。
この相談者の方は、債務整理が必要だと感じましたので、司法書士の同席のもと対応を開始しました。
生活保護の返還金についても、司法書士から役所に書面を送付してもらい、話し合いを試みる方針です。
以前にも似たような事例がありましたが、その際は毎月の返還金額を減額するように話し合いが行われ、返還額は実質的にゼロになり、無事に老人ホームに入所することができた経験があります。
ただし、やはり、その時に対応した司法書士が、それなりの理由、法律面での根拠もしっかりと主張してのことですので、ただ「減額して欲しい」とか「老人ホームに入所するから」では、難しいと思います。
「生活保護法」とか「生活保護手帳」、事案に該当する「行政通知(保護課長通知など)」を前提に、かつ個別の事情を交えて話し合いを行いました。
なんの下調べもしないで、「とりあえず、役所に行って聞いてくる」と言う業者さんもいるようですが、相手の仕事の時間を奪ってしまいますし、なにより役所の言われるままになってしまいます。
それでは、相談者の方が、私どもに相談した意味は半減してしまいます。
また、役所の担当者の方が、生活保護に関する全ての法令、通達に精通している訳ではありません。むしろ、役所の担当者が知らない法令、通達、前例があるのが普通だと思います。
役所に「お願い」ではなく、「主張」をしないと解決できない事案もありますし、きちんと下調べをして行けば、役所の担当者も助かるわけですから、専門家でなければできない部分もありますが、可能な限りの勉強と言うか、下調べをして臨むように心がけたいと思っています。
定期的なご面会(身元保証、任意後見契約後のお客様フォローより)
私どもでは、身元保証や任意後見などのご契約を交わしたお客様とは、定期的な交流をしています。
頻度や方法は、その方に応じて様々ですが、基本的には1~3か月以内に顔を合わせる方法です。
頻度は、多すぎても重く、お互いに負担になりますし、少なすぎては信頼関係を維持できません。
本日、ご面会した方は、大体毎月1回は面会しています。
いつも、私どもが訪問するのを楽しみにして下さっていますので、私どもとしても、訪問の甲斐があります。
今日は、天気も良く気候も穏やかでしたら、少し屋外にお連れしてご近所の公園でお話しをしました。
平素はあまり、外出ができないこともあり、「風が気持ち良い」と話され大変喜んでおられました。
私どもよりも、はるかに年長の方とお話をしていると、時として、こちらが「学び」を得ます。
「大きな資産・財産を所有していなくても、自然と周りに人が集まってくる方」が確実におられます。
今日、私どもがご面会した方も、そのような方で、その方と話していると、私どもが「気づき」を得ることもあり、そのような感動が、自然と人を引き寄せるのかも知れません。
もちろん、相性の問題も大きいでしょうが。
その方は、施設に入所しておられますが、やはり施設のスタッフさんからも人気があり、スタッフさんが自然とその方の部屋に訪室する頻度も増えますので、知らず知らずに徳をしているのではないでしょうか?
私どもも、その方を見習って、自然と周りから声を掛けられ、助けられる人間になれれば、どれだけ幸せだろうと感じました。