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少し不合理な自己決定をどの様に支援するか?(見守り、任意後見契約後のお客様フォローの現場から)
私どもで、見守り、任意後見契約をお引き受けしている方との定期面会を行っています。
今日の方は、お元気ですので、私どもの事務所までご来所して頂けました。
お体が不自由になられた方であれば、私どもからお伺いします。お元気な方は、その方の外出のついでにご面談の機会を頂くことも多いです。
今日、ご面談した方は、ご高齢ですが「お引越し」を計画されており、引っ越し業者さんの見積書を数か所から取り寄せたので、一緒に検討して欲しいとのご要望がありましたので、一緒に検討させて頂きました。
この様なご相談の場合、多くの場合は、既に「ある一定の答え」をお持ちであることが多くて、その「答え」に自信を持ちたい。とお考えのことも多いです。
私どもは、基本的にお話をお聞きして、大きな勘違いなどをしておられない場合は、その方の「答え」あるいは「意見」を支持するように支援します。
人は、必ずしも合理的な最善を選択するとは限りません。
少し不合理な選択、少し損をする選択をあえて、採用することもあると思います。
ですから、「見守り」の段階では、相談者の方が大きな勘違いをしていない場合、詐欺など騙されているわけでない場合であれば、あえて、不合理な選択をしようとしても、基本的には同意(支持)するようにしています。
後見人として活動する場合は、善良な管理者として注意義務がありますので、少し考え方も違いますが、まだ後見人でなく、「見守り」である場合は、不合理な選択もご本人の自己決定の一つではないかと考えています。
今日の面談した方も、すでに自分の答えと意見はお持ちでした。
どちらかと言えば、私どもに賛同してもらい、自信を付けたいのだと直ぐに感じました。
聞く限り、見積書の金額に違いがありますが、どれも詐欺的なものではありません。
見積もり時の担当者の印象、会社の規模などから、「ある会社」に依頼したいと既に心証を形成しているようでした。
私どもは、「〇〇さんのお考えで大丈夫だと思います。その会社にご依頼しましょう。」と賛成の意見を述べました。
その会社は、見積書では最安値ではありませんでしたが、これもご本人の決定なのだと思います。
人は、必ずしも、理性的、合理的に生きている訳ではない。
感情的に、情緒的に、様々な事情や、人間関係の中で、バランスを取りながら生きています。
人間として、当たり前にあるこの様な事情を理解することが出来ず、合理性ばかりを追求しようとしていた時期もありましたが、それは自分自身が人格的に未熟だったのだと、今では感じています。